伊藤義行

話が盛り上がっているところ申し訳ありませんが、ひとこと言わせてください。あの石は墓石とされていますが、三人(大杉栄・野枝・橘宗一)の御霊はきちんと弔われていません。ただただ、そこをお参りしてくださる方々の集合的な念が集まっているだけです。そんなに墓を公開し、多くの方が出入りするようになるのが、本当にいいことなのでしょうか。70年間、野枝の墓を掃除し、花を手向け、守ってきた者としてはどうかと思います。 また、山林の土地の管理者に対してどう考えるのか。見ず知らずの人が線香をあげることもあるだろうけれども、それをどうやって管理していくのか。自由意志について話が盛り上がっているようだけれども、そこに自己責任がつきまとうことを忘れないでいただきたい。それは野枝の生き方を汲み取っていけば、おのずと見えてくるはずです。もっと深く考えてほしいと思います。